LENCONのはじめの一歩
あれはもしかしたら… 永松 玲子(ながまつ れいこ)さん
※サリドマイドの薬害のため、両肩から数本の指が少し出ているだけの状態で左目は失明、右目も眼球振動があり弱視(近づけば人がいるか識別できるくらい)
点滴を打ち始めて数日たった頃には、私はもうお腹がすくこともなくなっていて、「もう両親や妹にも会えないんだ。このまま私はどうなっていくんだろう」と不安な気持ちでいっぱいでした。
ある日の夜、点滴も打ち終わって眠りかけた頃「玲子ちゃんどうしたんね。お母さんよ。」「玲子ちゃん、お父さんよ」という懐かしい声を聴きました。「ああ、とうとう両親の声まで夢見よる…」と思っていると、もう一度「玲子ちゃん、お父さんとお母さんが来たよ」と呼びかけられ、目が覚めました。
声のする方を見ると…、すごく、すごく会いたかった両親が、私の目の前にいるではないですか!「これも夢?目が覚めたらまたいないの?」そう思っただけで胸がいっぱいになり、泣き出してしまいました。すると看護師さんが、「玲子ちゃん、今日はお父さんもお母さんもここに泊まるからね。安心していいよ」と言ってくれて、とても嬉しくなりました。
するとどうでしょう。あれほど食べ物も水も受けつけなくなっていたのに、急に喉が渇き始めました。看護師さんに「水が欲しい」と伝えると、オレンジジュースを持ってきてくれて、「今まではこれも戻してしまっていたけど、今日は飲めそうかな?」と置いて行ってくれました。
ジュースを飲み終わった後、しばらく様子を見ていましたが、まったく戻す気配はありません。逆にどんどんお腹が減ってきました。その日は夜も遅かったのでそのまま眠りましたが、翌朝、両親のそばで久しぶりに朝食を食べることができました。
少し落ち着いたのを見届けると両親は家に帰り、私はいつもの訓練の日々に戻りました。
そして、しばらくたったある日、たくさんのドクターのいる会議室に呼ばれて言われたのです。「玲子ちゃん、良かったね。ずっと願ってたおうちに帰れるよ。足立学園(あだちがくえん)を退園していいよ」――すごく嬉しかった!
今こうしてあの頃を思い出してみると、あれはもしかしたら…「拒食症(きょしょくしょう)」だったのかもしれませんね。