LENCONのはじめの一歩 がんばって食べようね
永松玲子(ながまつ れいこ) さん
※サリドマイドの薬害のため、両肩から数本の指が少し出ているだけの状態で左目は失明、右目も眼球振動があり弱視(近づけば人がいるか識別できるくらい)
九州歯科大で咽喉の手術が無事終わり、抜糸が終わるまでの間、私はしばらく足の甲あたりの点滴とお尻の注射を毎日され、朝が来るのが嫌になるほど痛かったのを憶えています。
そして抜糸が終わり、少しずつ喉に食べ物を通していいよと言われましたが、小さな食べ物を通しただけで激しい痛みが走り、冷たい飲み物しか通すことができなくなっていました。
だから、アイスクリームは最高で、いちごのアイスクリームは午前中の痛い治療をきちんと我慢できた時にご褒美として買ってもらえるので、一生懸命頑張りました。
でもある日、主治医の先生から「玲子ちゃんはおうちに帰りたくないと?」と聞かれ、「帰りたい」と応えると「そうしたら頑張ってご飯を食べようね。痛いのを乗り越えてご飯がちゃんと食べられるようになったらお家に帰れるようになるからね」と言われ、家に帰りたい一心で喉の痛みに耐えながら少しずつ食べるようになりました。
毎食時痛みに耐えながら、食後に出された食器を主治医の先生に見せ、「玲子ちゃん、今日もよく食べたね、えらいよ」とほめてもらえると嬉しくていつの間にかご褒美の苺のアイスクリームのことは忘れていました。そのうちあんなに痛かった咽喉の痛みもなくなり、私は無事九州歯科大を退院することができました。
「お家に帰れる」、その気持ちでいっぱいになり両親と車の中ではしゃいでいたのですが、ふと気が付くと足立山が左手に見えているんです。私はすぐに「お家には帰れない」、ということを悟りました。そうです、まだ右手を上手に使えるようにするための訓練が残っていたのです。それが分かると、ご飯を食べられるようにならなければよかったと、涙がこぼれそうでした。
でもその時はなんとか我慢をし、両親に「今からまた足立学園に戻るんよね。まだ右手が上手に使えてないもんね」というと、両親は小さく「うん」と応えてくれました。
足立学園に戻り、九州歯科大に持って行っていた荷物の整理をし、「じゃあ今度は面会日の時ね」と、両親は正面玄関に向かいました。私は見送りをせず、遠のいていく両親の足音を耳で追い、泣きそうなのを必死で我慢しました。以前、足立学園の保母先生から「お父さんお母さんが帰る時、玲子ちゃんが泣いて見送ると、お父さんもお母さんも会いに来れんくなるよ」と言われたからです。
でもやっぱりお家に帰りたかったです。その日の夜はどうしても我慢できず、ベッドの中で小さく泣いてしまいました。