LENCONのはじめの一歩
しのびよる病魔 永松 玲子(ながまつ れいこ)さん
※サリドマイドの薬害のため、両肩から数本の指が少し出ていて、左目は失明、右目も眼球振動があり弱視(近づけば人がいるか識別できる)
ひのみね学園まで迎えに来てくれた両親と一緒に、私のまた長い長い列車の旅が始まりました。初めに列車にしばらく乗り、高松から宇島まで船に乗り、そして宇島から岡山まで列車に乗り、岡山から北九州の戸畑まで列車を乗り換え帰ってきました。
列車の窓から見える景色。徳島のひのみね学園に行く時は、戸畑を夜遅く出たので景色はずっと夜で、私は涙をためながらひのみね学園に行きましたが、今度はその逆で、明るい間に戸畑へ帰っていく。いくら乗り物をたくさん乗り換えて長い時間がかかってもとにかく家に帰れる。そのことが嬉しくてずっと景色を見ていました。ただちょっと心残りだったのは、同じ部屋で寝起きしていたルームメイトにお別れの挨拶がちゃんとできなかったことでした。
「きっとみんなびっくりするだろうなぁ。」「涙をためながらみんなを見送っていた私が今度はいないんだもん。」そう思いながらも、やっぱり家に帰れることのほうが嬉しかったです。
念願の家に帰り、結局どれくらい自宅にいたでしょう。私が思っていたより長くいた気がします。ひのみね学園を出た私は、このままずっと自宅にいて足立学園に行かなければいいのにと思っていました。
でも現実はそうはいきません。夏休みが終わると、私はまた幼い頃いた足立学園に戻され、重たい電動技手の訓練が始まりました。
それでも今度は私も黙っていません。訓練の先生が電動技手を持って追いかけてきても、「その技手は重いしきついからいや!足をつかってもいいやん。」と逃げ回り、結局つかまって訓練という日々を繰り返しました。
そんな日々の中で唯一楽しみなのが、1か月に一度の一泊帰省でした。
家に帰れば両親と妹、そしてやたらと吠えるスピッツの「しろ」。みんなの声を傍(そば)で聴くと、なんだか気持ちがゆったりしていました。
一泊帰省が終わるとまた足立学園での電動技手の訓練です。その訓練に目標をなくした私にとって、訓練はただただ苦痛の時間でしかありません。そんな日々の中、知らない間に私の体に病魔がしのびよっていました。