My Story マイ・ストーリー
誰もが自分の物語を生きている
中村 忠能さん
(なかむら ただやす)
《視覚障害》
生い立ち
先天性の視覚障害者です。記憶がある時から見えないので。
2・3歳の頃、私が眩しさに対して過敏に反応していることを疑問に感じた母親に連れられ受診したことがきっかけでした。病名は『網膜色素変性症』。
私は佐賀県出身で、県内の盲学校の保育学級(保育園)に入園しました。一度自宅に視覚特別支援学校の先生が来て紹介してくれたからです。入園した後は、幼稚部(幼稚園)、小学部・中学部、高等部と進学し卒業しました。
寮に入ったのは小学部1年生になった時です。それまでは、自宅から1時間くらいかけて、母と一緒に通園していました。他の人との寮での共同生活、初めの頃は寂しくてよく泣いていたらしいです。今は、共同生活は得意です。(笑)
高等部を卒業後、「パソコンが好き」という動機で筑波技術短期大学に入学しました。今は筑波技術大学という名前の4年制大学ですが、当時は3年制の短大がありました。短大で3年制というのは珍しいですよね。
筑波技術短大を卒業後、就職で北九州市に住むようになりました。今では北九州市に住んでいる時間が一番長いですね。
ロービジョン(弱視)
画面に近づいて拡大すれば見えます。でも音声で聞いた方が早いですね。(視力は)0.01あるかないか。
小さい頃は見なくても生活ができる学習・訓練をしていましたので、視力の残存能力を利用しきれていな
いですね。視力は視野に入ってきた人を避けるという時に使っています。視野もあまり広くないです。白杖で周りの人に視覚障害者ということを気づいてもらうようにしています。
災害はとても不安です。夏は水害、冬は積雪ですね。冬に雪が降って積もると通常時に目印にしているものが見えなくなります。私はロービジョン(弱視)なので、見えている景色が全く違うものになってしまいます。滑らないように歩かないといけないという緊張感もあり、自宅近くに行くのも疲れてしまいます。
パソサポ・パソボラ
私が北九州市に来た頃は、まだ視覚障害者の制度(同行援護など)が整っていませんでした。(私が制度を知らなかっただけなのかわからないのですが・・・)知らないコトやわからないコトばかりで、職場と自宅の往復のみ。何か困ったことがあれば職場の人に支援してもらっていました。その後、パソコンサポーターやパソコンボランティアの活動の存在を知り、自分と同じように困っている人の助けになればと携わるようになりました。元々プログラマーになりたいという夢があったので、ソフトを使って視覚障害のある人の役に立つものが作れればという思いで、パソコンサポーターやパソコンボランティアに関わっています。
『就職』と心理学
私のターニングポイントです。
今考えると精神的なものだったのかと思いますが、就職後、何回か体調を崩して長期休むことがありました。これをきっかけに心理学に関心を持つようになり、勉強をしました。学校でも心理学を学んだのですが、生活に直接活かせる心理学を学びたいと思ったんです。今でも月1回、オンラインで講座を受講しています。ストレス社会なので、本当は就職する前に学んでいた方が良かったのでしょうけどね(笑)
『過去と他人は変えられない。変えられえるのは自分と未来』という座右の銘は、心理学を学んだことが大きく影響していると思います。「ああ・・・あの時、ああすればよかった。こうすればよかった。」そう思っても過去は変えることはできません。変えることができないものを悩んでもしょうがない。でも今の自分が変われば、未来を変えることができます。心理学を学んで、自己肯定感が上がったと感じます。
人に話を聴いてもらうことで、自分の気持ちが整理できるということを心理学で学びました。それからは、しっかりと話を聴き、相手に自分の気持ちを整理してもらった後で解決に向けて進んでいくという支援方法に変わりました。支援については話を聞くには自分が『そこそこ幸せ』でないと話しを聴くことができませんので、『そこそこ幸せ』の状態がポイントです。
地域とのつながり
現在、障害福祉サービスも利用して生活しています。妻のサービスも合わせて週に2回、ヘルパーを利用しています。同行援護も契約しているのですが、行き慣れた場所や知っている場所に行くときには利用していません。知らない場所に行くときに利用する予定ですが、なかなか知らない場所に行く機会がないもので・・・。
地域の中では、何かがあった時(災害時など)は、警察に連絡をすると支援してもらえるという仕組みを作っています。また、地域の自治会にも入り、災害時に支援が必要な『避難行動要支援者』に登録しています。災害時に支援が必要なので。
自宅がある地域は、もともと田んぼが多かった地域だったらしく、自宅周辺には用水路(側溝)が多く存在しています。気をつけていても、そこに何年かに一度落ちることがあるんです。雨水が用水路に流れ込むように、道路(歩道)にも傾斜がつけられていて、歩行している時に身体が傾斜に流されてそのまま落ちてしまうんです。自治会の方に相談したら「これ、自転車で通る時も(傾斜があるので)不安があるんよね。」とすぐに区役所の方に相談してくれて、担当者が現地に状況確認に来てくれました。改善策を検討していただいているようです。
もどかしさ・・・
外出は生活に欠かせないものです。ですが、やりたい時・行きたい時にすぐに行けない・やれないという、もどかしさは感じます。イベント情報を聞いていて「あ、コレおもしろそう」とか「行ってみたいな」と思っても、なかなか行けないんですよね。支援者の都合もあります
し・・・。私の『行きたい』タイミングと支援者の『行ける』タイミングが合えばいいのでしょうけどね。そこが合わないもどかしさはいつも感じています。
私の思う『自立』とこれから
障害のある人が生活していく中で、一人ではできないことがたくさんあると思います。私は、他の方からの支援の手を借りても自分のやりたいことをすることが『自立』だと思っています(なんでも自分一人でできることが『自立』ではないんじゃないかと)。以前の教育は『なんでも自分でできなさい。しなさい。』だったんですけどね。
なので私は、この考え方に立った、障害のある人の『自立』を支援するため、障害のある人と一緒に何かをやっていくということをこの先もずっと続けていくと思います。対人スキルは高くないと思っていますが、ライフワークというか、一緒に作り上げていくことが好きなんだと思いますので。
いろんな人と話をすると学ぶこともたくさんありますし。
これからも自分のやりたいことを支援の手も借りつつやっていきたいと思います・・・がんばりすぎないように。
時々、支援者として関わりながらも、支援しているのか、されているのか分からなくなることもありますけど(笑)。