My Story マイ・ストーリー
誰もが自分の物語を生きている
山下 省三さん
(やました しょうぞう)
《失語症(しつごしょう)》
※失語症の山下省三さんのお気持ちを時折確認しながら、
妻の幸子さんにお話を伺っています
※《 》内は省三さんの言葉
「失語症」の症状
主人は56歳の時に職場で脳出血を起こしました。職場の人が言われるには、急に顔色が真っ青になって、人の言っていることが分からない、分からないって言いながら俯(うつむ)いてしまって、これはもう普通じゃないとすぐに救急車を呼んでくださったそうです。それ以前にも2回ほど軽い脳梗塞(のうこうそく)を起こしていたので、職場の人の対処も早かったのですが、その時の後遺症(こういしょう)として失語症になりました。私はこの時に初めて「失語症」という障害を知りました。思っていることが言葉になって出てこない。言葉とモノがつながらない。例えば、漢字の「虎」は虎だと分かるけど、ひらがなの「とら」だと虎と結びつかない。漢字は、大まかな意味が読み取れるから割と理解できるそうですが、ひらがなになると分からなくなる。失語症の一般的な症状の一つだそうです。
突然のことに、まず家族の方(ほう)がうろたえました。もちろん、本人もでしょうけど、本人は伝えたいことが伝えられない状態ですから、実際どれほどのショックを受けていたのか、私たちにも分かりません。
最初は失語症も軽度だったので、1年ほど休職した後は元の職場への復帰を望んでいました。元々事務職だったのですが、失語症になると、計算や電話応対が難しいので、それ以外の業務での復職を相談したところ、「電話がとれるようにならないと、復職されても困る」と言われ、結局、3年ほどの休職期間を経て早期退職することになりました。
そんな折に、関わってくださっていた言語聴覚士(げんごちょうかくし)の方(かた)から、患者さんや家族が集まるコミュニケーション広場や、とりはた玄海園(げんかいえん)就労(しゅうろう)センター(就労継続支援B型事業所)を紹介していただいたんです。主人も、元の職場に戻りたい気持ちが強かったので、コミュニケーション広場やとりはた玄海園に通いながら、自分から人に話しかけたりもして、一生懸命努力していました。だから、失語症になってからも10年近くは、割と話せていたんですよ。「とりはた」を退職するまで…10年かな? 《ん?… *ゆっくり指を折りながら数を数える省三さん》 9年? 《ん… *ゆっくり指を折る》 66歳くらいまで行ったっけ? 《うん》
「あすの会」を楽しみに
「北九州失語症友の会 あすの会」は、コミュニケーション広場に行っていた頃に知りました。「あすの会」では、失語症の人とその家族、失語症専門のボランティア『会話パートナー』、言語聴覚士が月に1回集まり、定例会や交流会を行っています。主人も会話パートナーさんとのお話がとても楽しかったようで、「あすの会」で言葉を出す力がずいぶん引き出されたように思います。だから、私も会話パートナーになって、他の方ともお話してみたいと思って、失語症会話パートナー養成講座を受けたんですよ。
失語症の人は、思っていることをなかなか言葉に出せません。でも、ゆっくり話をしてもらえると話せるんです。皆さん、言葉にしようと努力をされます。
言葉がなかなか出ないと、普通は「ああ、いいです、いいです」ってなるでしょう? でも、そこを会話パートナーさんは「何が言いたいのかな?」って待ってくれる。「こうですかね?」「ああですかね?」って言いながら、言いたいことを引き出す作業をしてくださる。だから皆さん安心されるんでしょうね。主人も安心するみたいですよ。休むとは絶対言いません(笑)
ね? お父さん、「あすの会」に行くと楽しい?
《ん?…》 そこにいると楽しい? 《ふふふ *顔がほころぶ》 安心する? 《安心》 ね? 楽しみよね。《うん》
最初に倒れてから16年になりますが、この間にも主人は2、3度倒れて、言葉は前より出にくくなりました。それでも、退院して久しぶりに「あすの会」へ行くと、皆さんが「あ! 来たね! 元気になったね!」と迎えてくれます。他の失語症の方とも、会話にまではなりませんが、声を掛け合ったりして楽しそうにしています。ありがたいことです。
「失語症」を知ってほしい
失語症は、見た目に分からない障害です。場合によっては、「変な人」に見られたりもするんじゃないでしょうか。世の中で「失語症」って、あまり知られていませんからね。すらすら言葉が出てこなかったり、話せなかったりすると、何も分からない人だと思われがちですが、なんでも分かっているんですよ。
急に話せなくなってしまっても、その方がそれまでの人生で築き上げたものまで失ったわけではありません。だから、急に馴れ馴れしく話しかけたりせず、丁寧に話をするようにと、養成講座でも教わります。それはそうですよね。
会話パートナー養成講座を経て、パートナーさんが増えることはもちろん嬉しいのですが、受講するだけでも「失語症」を知ってもらえますし、それだけ世の中に種が撒(ま)かれるということは、とても嬉しいことです。まずは「失語症」のことをもっと皆さんに知ってほしい…家族としての願いでもあります。
いろんな所に失語症である本人の声を届けるのはとても難しいです。自分の想いが言葉として表現できないからです。頭の中では考えていることがいっぱいあって「これだ!」って言いたいのに、口から出てきた言葉は全然違っていたり、端(はな)から言いよどんで言葉が出てこなかったり…。たくさん話す方、私たちから見れば軽度の方でも、自分の伝えたいことと、話していることが違っていたりするようです。多分、「違うんだ。ほんとはこういうことが言いたいんだ!」って思っていても、それが言えない。そのもどかしさ、辛さがあるんじゃないでしょうか。普通に話しているように見える失語症の方が、「僕は話せないんだよ」とおっしゃるのは、そういうことじゃないかと思います。
お父さんは、病気になって辛い、悲しいと思ったことある? 《全部》 全部か…そうね、仕事に戻れなかったのはしんどかったよね。 《うん》
職場復帰出来なかったことは、本人にとっても辛かったようです。「仕事に戻る」って思えたら、それが気力にもなりますよね。若くして失語症になる方もいらっしゃいます。収入が無くなって離婚するしかないなんていう話も聞きます。どうか失語症というものを理解して、その方の状態をよく聞いて、職場復帰させるにはどんな環境を作れば良いのか、その方法を皆で考えるような社会であってほしいと思いますね。
職場には戻れなかったけど、行ける場所があったことは本当にありがたかったです。突然主人が障害者になって、さらには仕事がなくなって、うわあ、どうしようって、その時はほんとうに目の前が真っ暗になりましたから。出会った言語聴覚士さんがとても熱心にサポートしてくれたので、私たちはたまたまそこに辿り着けたけど、同じような境遇になった人がその先も安心できるような道筋や、選択肢がもっと確立しているといいですよね。
夫婦として、これからも
夫婦になって40年近くになりますから、だいたい主人の言わんとすることは分かりますし、会話で困るようなことはそんなにないかな。2人の時はそんなにしゃべらないし…「あれ取って」「ん?」とか「は?」とか(笑)
病気をしてからは、元気なうちに色んな所へ行っておこうと、2人でよく旅行をするようになりました。
今年も東北の三大祭りに行くことが決まっているんですが、体調を崩して間もないし、私はもう少し待った方がいいんじゃない?って言うんですが、主人は行くって聞かなくて(笑) 《指を折りながら 3、4、5…5か月…8月》 うん、8月よね、次の旅行ね(笑)毎年、ここへ旅行するって決めたら、それに向けて体力をつけようと頑張りますし、旅行が支えになって元気でいられるのかなとも思います。
本人は言わないけど、これからも出来ることはしていこうって思っているみたいですよ。お皿を洗ってみたりね? 《うん》 ごみを集めてみたりね? 《うん》 自分の出来ることはしながら、夫婦仲良くやっていこうって思ってるんじゃないかな? 正解?(笑) 《ふふ…うん(笑)》
病気も、悪いことばかりじゃないかなという気もしています。主人の代わりに私が働くようになって、改めて主人がそれまで一生けん命、真面目に働いて家庭を守ってきてくれたことに気づかされました。その間私、楽をさせてもらっていたんだなあって…今までありがとうって思えたから、私も頑張れたんでしょうね。
私はどんな奥さんかな? 《笑顔》 言わない? 《ふふ…(笑)》 言わないよねぇ(笑)・・・・
《・・・・・・・・帰りますか(笑)》