スクリーンリーダー用に表示内容を最適化

音声ブラウザ向けページ内リンク

本文へ進みます

サブコンテンツへ進みます

メインナビゲーションへ進みます

ページナビゲーションへ進みます

音声ブラウザ向けリンク終了

ここからメインナビゲーションです。

  • 北九州市身体障害者福祉協会
    • 協会の取り組み
    • 協会の活動方針
    • 組織
    • 情報開示
    • 機関誌「しんしょうだより」
    • お知らせ一覧
  • 障害者福祉会館
    • 東部障害者福祉会館
    • 西部障害者福祉会館
    • 障害者芸術文化応援センター
    • 障害者社会参加推進センター
    • 会館だより
  • 情報提供施設
    • 点字図書館
    • 聴覚障害者情報センター
    • 視聴覚障害者情報センター
  • 北九州市身体障害者福祉協会アートセンター
    • 事業の紹介
    • アーティストNO.31-
    • アーティストNO.21-30
    • アーティストNO.11-20
    • アーティストNO.01-10
    • パフォーマー紹介
    • かがやきアートギャラリー
    • ユキモントライアウト
    • シアワセな牛作品展
    • カレンダーアート募集
    • レインボードロップス
    • かがやきミニライブ
    • かがやきステーション
    • かがやき作品展
    • カフェでアートタイム
    • かがやきアートinMOJI
    • かがやきアート月間事業
    • エコライフかがやきアート
    • 新聞・報道機関での紹介
    • 北九州市障害者芸術祭とは
    • 本年度の芸術祭について
    • 障害者芸術祭記念誌
    • 芸術文化活動紹介
    • 芸術文化情報発信
  • リンク

ここまでメインナビゲーションです。

機関誌「しんしょうだより」

ここから本文です。

LENCONの初めの一歩

 うちは何でガラス屋?

身障協会職員 永松 玲子(ながまつ れいこ)

※サリドマイドの薬害のため、両肩から数本の指が少し出ているだけの状態で左目は失明、右目も眼球振動があり弱視(近づけば人がいるか識別できるくらい)

 

 皆さんは両親がどんな仕事をしているか知っていますか?または話を聞いたことがありますか?

 私の家はガラス屋で、幼い頃は居間に入る上がり口の横にガラス切り台があったため、私はしょっちゅうガラスの破片が足の裏に刺さり、ずいぶん痛い思いをして泣いていました。そして、その度に両親は仕事の手を止め、足に刺さったガラスの破片をとってくれていました。

 破片は大中小さまざまでしたが、大きさに関係なく痛いのです。そして全部取ってもらっても、刺さっていた余韻がしばらく残り、まだ刺さっているような不安も度々感じ、何度見てもらったかわからないほどでした。そしてその度に「うちは何でガラス屋?他のお店ならこんなに痛くないのに」と聞いていたことを憶えています。

 両親の答えは憶えていないのですが、きっとその仕事が生きがいになっていて楽しかったのでしょうね。たまの休日にみんなで遊びに出かけても、他のガラス屋がガラスを積んで走っていく様子を見ると、「よそのガラス屋が儲けよる!うちもはよ帰ってガラスを売らな!」と言っていました。私達はせっかくの休日、もっと両親と遊びたかったのですが…。

 でも両親がしていたこの仕事、痛い思い出だけではありません。今はもうなくなっていますが、昔は模様(もよう)ガラスというものがあり、みどり、わかば(葉っぱをかたどった模様)夜空、銀河、(星をかたどった模様)ハイウエイ(高速道路のような模様)サーキット(レース場のサーキットのような模様)といった色々な模様ガラスがあり、それを見るのが大好きでした。そして模様ガラスの注文が入ると、なんだかわくわくしていたのを思い出します。

 模様ガラスの注文で子供心にワクワクするなんて、その辺のところは両親のDNAを受け継いだのかなと思ったりします。

 今はもう両親もガラス屋を引退し、私の足にガラスが刺さることはなくなりましたが、こうして思い出しながら原稿を書いていると、あんなに痛かった破片の痛みも懐かしくなるから不思議ですね。(笑)

ここまで本文です。

印刷用のページを表示する