はたらく
~障害のある方が働いている企業や事業所の紹介コーナー〜
今回ご紹介するのは、社会医療法人北九州病院勤務、北九州市難聴者・中途失聴者協会理事長の神矢(かみや) 徹石(てつじ)さんです。。
私は聴覚障害6級で、幼少の頃からの難聴者です。難聴になった原因ははっきりわかりませんが、補聴器をつけて普通の学校に通っていました。大学卒業の頃にバブル崩壊や就職氷河期などがあり、最初は印刷会社で校正の仕事をしていました。
私が今いる医療法人は、勤務するようになってから15年になります。その前は大学院で学びながら、京都市にある聴覚障害者情報提供施設でバイトとして働いていました。今の医療法人からは知人を通じて声がかかり、難聴があっても働ける部署に配属するという条件をつけてもらって承諾しました。そのためには国家資格を取るようにと勧められ、1年間社会福祉士の勉強をして資格を取得しました。
最初の病院では地域連携室に医療ソーシャルワーカーとして配属されました。入院患者の家族との面談の聞き取りが難しく、苦労することが多かったので上司に配慮を求めたところ、診療情報管理士の資格を取ることを勧められました。数年間勉強をして診療情報管理士の資格を取り、1番目の病院で働き始めて4年7か月が経ったときに次の病院へ診療情報管理士として配属されました。このとき人事と面談を行い「4年7か月の経験では資格取得などで不利になるから経験年数5年までこのまま働かせてほしい」とお願いしましたが、病院側の事情もあり願いが叶いませんでした。
2番目の病院は市外にあり通勤に時間がかかりましたが、会議を除いて意思疎通に不自由することは少なくなりました。この頃から難聴者協会での活動に力を入れるようになり、理事長に就任したのもこの頃でした。
そこに6年4か月勤務しましたが、遠くまで通勤しながら難聴者協会で活動するのが大変なため市内への異動をお願いし、現在の病院で働くようになりました。前の病院にいた頃に医師クラーク(医療事務作業補助者)の勉強をしていましたので、現在の病院では医師クラークとして勤務しています。難聴に配慮するようにお願いしてあり、なるべく人と話をすることの少ない業務を割り当てられています。最近はコロナ禍でほとんどの職員がマスクをしているためコミュニケーションが困難になってきており、積極的に難聴者であることをアピールしています!
近年は学会等で発表したり、難聴者の海外での大会に参加したり、活動の幅を広げています。新しく訪れた街を歩くのは私の楽しみの一つです。