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はたらく

~障害のある方が働いている企業や事業所の紹介コーナー


今回ご紹介するのは、日本製鉄 九州製鉄所勤務(元八幡製鉄所)、NPO法人ベーチェット病協会の理事長で、視覚障害者の妹尾 耕基(せお こうき)さんです。


 私は、製鉄所の電気設備エンジニアとして入社しましたが、数年後に発症したベーチェット病が原因で、徐々に視力が低下し、H18年に身体障害者手帳を取得しました。

 

 眼が悪い=何もできない と落ち込みましたが、会社の産業医、上司や同僚、区役所の福祉課や福祉用具プラザ職員等多くの方に支えられ、仕事を辞めずに現在でも製鉄所内で働いています。

 今回は、私が仕事を続けるうえで工夫している点や気を付けている点をご紹介します。

 


1.自分の病気や障害の事を正しく人に伝える。

 会社での業務はチームで進めます。上司には、病気の事などを理解してもらうため、産業医も同席して、面談してもらいました。どう対応、どう配慮すれば良いかわからないと自分が職場に居づらくなってしまうので、まずは自分で自分の事を説明できるようにしましょう。

 

2.病院の先生と一緒に治療方針を決め、納得して治療に臨む。

 ベーチェット病の症状がひどい頃、突然眼が炎症で白く濁り、急に仕事に穴をあける事もありました。そこで、「症状をコントロール」する事に重点を置き、先生と治療方針を決め、定期的に年休で通院し点滴投与を続けました。これにより炎症発作も激減し、仕事も調整がきくようになりました。

 病院の先生と継続的に治療方針を確認し、治療を進めると安心して仕事に専念できます。

 

3.自分の障害を受け入れ、出来る事をする。出来る事を増やす。

 人生途中で障害者になったら、なかなか障害を受け入れるのは難しいものです。

 私も、視力が落ちてくるに従って、文字通り「お先まっくら」な時期がありました。障害手帳をとり、福祉用具と出会い、見えにくくても少しずつ出来る事が増えました。会社に大型のモニターと拡大ソフトを準備してもらい、業務内容も、現場調査や図面確認の多い設計から、裏方の管理部門に変えてもらい自分の出来ることを増やしていきました。

 今も経理や会計の知識などを学びながら、設備管理の仕事を続けています。

 

4.会社以外にもお友達をたくさん作る。

 会社や役所、組織はどうしても「縦割り」になりがちです。横のつながり-会社以外でお友達を作る事で、いろんな意見が聞け、思い悩んでいた事の解決策が見つかったりします。

 私も一時期、仕事上の人間関係にストレスを感じ、体調不良になった事がありますが、視覚障害のお友達やランニング仲間と話していく中で、徐々に平常に戻りました。

 家族や友人たちと日々健康で楽しく過ごせる事が一番幸せだと思います。

 

5.障害ある無しに関わらず、「働き甲斐」は自分で見つけるもの。

 【障害のある人の働きやすい職場環境の整備】 が会社の仕事なら、【その職場環境の中で、会社の業績アップの為に貢献する】のが障がいのある人の仕事です。

 会社が何をしてくれるか?だけではなく、自分が会社の為に何ができるか?が仕事を続けるうえで重要です。

 結局は、働き甲斐は自分の中で見つけるものなのだと、最近感じています。



 

              妹尾さんご夫妻
        萩往還マラニック(66Km)に伴走者と参加


※マラニックとは、マラソンとピクニックを合わせた造語で、タイムや順位を競うのではなく、それぞれのペースで自然の景色や観光名所、史跡仏閣などを巡り楽しみながら歩いたり、走ったりするスポーツです。

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集う (障害者福祉会館)

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